わたしの人生を変えた「虚数」の存在 何がそんなに魅力的なのか語りたい

~ミステリアスな存在である「虚数」のロマン~

目次

    「頼むから理系はやめてくれ」。高校時代のある先生の懇願でした。進学校でしたから、実績を出したい学校側としては当たり前の気持ちだったでしょう。

    しかし筆者は、ある出会いをきっかけに、周囲の反対を振り切って「理転」しました。それも、高校2年の夏のことです。

    「いい大学に行って、いい就職をしろ」。

    筆者の世代でまかり通っていた価値観で、筆者も当時は疑問を抱いていなかったのですが、

    「虚数の世界に向き合えるならどこでもいい、数学者になりたい」。

    当時の風潮の中でもそう考えたくらい、「虚数」はミステリアスな存在だったのです(数学者にはなれませんでしたが)。

    「虚数」の何がそんなに魅力的なのか。

    その深淵を、少しだけご紹介したいと思います。


    デカルトですら許さなかった「虚数」の存在

    「虚数i」。

    数学に少し興味ある人や理系の受験数学を勉強したことのある人なら、虚数が不思議な数であることをご存じだと思います。そして、虚数が世界のさまざまな法則の解明に役立っていることもなんとなくご存じでしょう。

    「マイナス×マイナスはプラスじゃないか」。人生の中で、人を励ますのによく使われる言葉です。

    悪いことも2回起きれば、それはプラスになるよ、という意味合いです。

    しかし、2回起きたらマイナスになってしまう。人生の中にそのような出来事があったらちょっと嫌だなあと思いますが、「虚数i」は掛け合わせるとマイナスになるという数字です。

    つまり、

    虚数の式

    というわけです。「i = √-1」とも記されます。

    「i」の語源は、かのデカルト(1596~1650)です。デカルトは「i」の概念が提唱されたとき、これを認めずに「偽の解」「想像上の数」だとして認めませんでした*1。

    「想像上の数=Imaginary Number」、これが虚数「i」の語源です。

    しかし、実はデカルトは数学者として、「すべての図形の問題は、計算の問題に置き換えることができる」と述べた最初の数学者でもありました。いかに受け入れ難い数字であったかがわかります。

    そこで虚数の存在を正当化しようと図形化を試みたのがイギリスの数学者ジョン・ウォリス(1616~1703)です。

    このようなシチュエーションを持ち出しました*2。虚数の存在を認めざるを得ない、的を射た指摘であると筆者は思います。このようなものです。

    「ある人が面積1600の土地を得たが、そのあとに面積3200の土地を失った。全体として得た面積は『-1600』とあらわせる。失った土地が正方形をしていたとすれば、その1辺の長さというものが存在するはずである。」

    この「1辺の長さ」は2乗して「-1600」になる数字でなければなりません。

    しかし、40ではないし、−40でもありません。

    「40i」という存在を認めなければならないのです。

    ウォリスの指摘は詭弁かもしれません。しかし、虚数について感覚的にわかりやすい表現をしてくれているのではないでしょうか。


    頭の中のものを「見える化」する執念

    思えば人類は、新しい問題に出会う度に「新しい数字」を使って対抗してきました。

    今ですら当たり前の「0」という数字さえ、最初は認められがたかった概念なのです。

    生活の中で最も馴染みのある数字と言えば、ものを数えることかと思いますが、私たちは「3個のリンゴ」とは言葉にしても「ゼロ個のリンゴ」とは普段は言いません。「ない」という言い方をするでしょう。
    (しかし、なぜ算数ではいつも「リンゴ」が使われるのでしょうか・・・?筆者が考える謎のひとつです。)

    この「ない」という状態は理解できても、それを「数字」として、計算対象に入れるという考えはなかなか定着しなかったのです。

    円周率πも、いまだに計算は終わっていません。しかし、長らく当たり前のように使われています。2019年にGoogleが、円周率を小数点以下31兆4000億桁まで計算することに成功したと発表していますが*3、現代人のテクノロジーを駆使してもまだ確定しきれていません。

    しかしπは、すでに何世紀も前に存在を認められ、何百年にもわたってあちこちで利用されている数字です。数直線上のどこに存在するか特定はできていなくても、確かに「π」は存在しているのです。

    それにしてもπはもはや、「何桁まで計算できるか競争」に世界の研究者が熱狂していることが正直どこまで実用的な研究なのかはわかりませんが、やめられない気持ちはわかります。


    虚数は「なくても困らないようなもの」から始まった

    円周率πをめぐる果てしない競争。興味のない人からすれば、「それがどうしたの?」「わからなくても困らないよね」というところでしょう。

    虚数の発見も、ともすればそのようなきっかけでした。16世紀のことです。

    イタリアの数学者ジローラモ・カルダノ(1501~1576)がこのような問いを投げかけました*4。

    「2つの数がある。これらを足すと10になり、かけると40になる。2つの数はそれぞれいくつか。」

    実はこの問いへの答えは、実数だけでは見つかりません。

    「そんな数字がなかったとしても誰も困らないだろう」。筆者も正直そう思います。こう言っては元も子もありませんが、πが確定できなくてもさして困らないのと同様です。

    しかし、カルダノは諦めませんでした。出した答えは、

    「5 + √-15」と「5 − √−15」

    という2つの数字の組み合わせでした(計算方法は末尾*5)。

    それをあたかも普通の数字のように書物に「√-15」と記したのが、虚数の議論のはじまりです。


    虚数の世界は生活や宇宙の解明にまで

    そこから虚数が様々な研究を経て認められるようになった経緯はここでは省きますが、虚数がその後、物理学の世界でも活躍していることは知られている通りです。

    中でも「人類の至宝」とまで呼ばれているオイラーの公式

    オイラーの公式

    は、「美しすぎる公式」とも言われます。

    何が「美しい」のかを語ると長くなってしまうのでここでは省きますが、「めちゃくちゃすごいことがこんなにシンプルな数式におさまっている」といったところでしょうか。

    さらに、虚数を含んだこの公式をもとにした「フーリエ変換」は、ノイズキャンセリングヘッドホンに応用されているのだから驚きです*6。虚数が実用の世界にきているのです。

    さらに凄まじいのが、かのスティーブン・ホーキング博士です。

    ホーキング博士は宇宙の始まりには普通の時間ではなく「虚数時間(虚時間)」が生まれていた、とする「無境界仮説」を1983年に発表しました。

    これはあくまで、「普通の時間(実数時間)」に対する概念としての「虚数時間」という意味合いです。

    ホーキング博士はこの理論を提唱した時には、

    「虚時間を使うことは単なる数学的トリックにすぎず、実体や時間の本質については何も語っていないと言ってもかまいません。私のような実証主義者にとって、観測結果を説明する数学的モデルを定式化するのに、虚時間が役に立つかどうかだけが、可能な問いです」

    と語っていました*7。

    しかし1991年には、

    「虚時間の概念は、次の世代には地球が丸いのと同様に自然だと考えられることになるでしょう。虚時間は世界を形作る何かなのです。」

    と言い切っています*8。

    博士のなかにどのような確信があるのかを再現できる人が世界にどれくらいいるかはわかりませんが、人類は新たな発明の時には新たな「数」を作り出すことで解決してきました。

    虚数もまた「仮置きの数」からスタートしたものです。

    今後、「虚時間」の存在を証明する研究者が現れてもおかしくありません。

    自然科学に触れる時、筆者がいつも思うことがあります。それは、「自然界に対して、人間は万能ではない」ということです。

    同時に人間は不完全な存在です。

    しかし、「不完全な人間」の「不完全な脳」が自然現象を証明づけ、一部を実生活にすら取り入れていく姿には、いつもロマンを感じるものです。


    参考文献

    *1 、2、4、6
    「別冊Newton 虚数がよくわかる」改訂第2版 p52-53、p48、p133


    *3
    「日本人技術者、円周率を「約31兆桁」計算 世界記録塗り替える」BBC NEWS
    https://www.bbc.com/japanese/47552083 


    *5
    カルダノは、答えは「5より少しだけ大きい数」と「5より少しだけ小さい数」の組み合わせとして以下のように方程式を立てた。

    (5 + x) × (5 - x)=40

    この解が「√-15」となる。

    (「別冊Newton 虚数がよくわかる」改訂第2版 p51より引用)

    *7、*8
    「相対性理論における時間と宇宙の誕生」東京大学大学院物理学系研究科 佐藤勝彦
    http://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/DKankoub/Publish_db/2006jiku_design/satou.html

    画像

    フリーライター

    清水 沙矢香 Sayaka Shimizu

    2002年京都大学理学部卒業後、TBSに主に報道記者として勤務。社会部記者として事件・事故、テクノロジー、経済部記者として各種市場・産業など幅広く取材、その後フリー。 取材経験や各種統計の分析を元に多数メディアに寄稿中。

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